先日、大分県立豊府中学校で3年生と一緒に「まちづくり」について語り合う機会がありました。学校の授業の一環で、生徒たちは地域の課題を自分たちなりに調べ、考えを深めています。
私が担当した班では、「国際化」について議論が始まりました。ある生徒がこんなことを話してくれました。
東京は外国の人がたくさんいて、国際化が進んでいるけれど、大分はあまり進んでいない気がします。
私は、「確かに東京に比べると、大分は外国人が少ないかもしれないね。もし大分がもっと国際化したら、どんないいことがあると思う?」と問いかけました。
すると生徒は、「外国の人が住みやすくなるのは良いことだと思います」と答えてくれました。その真っ直ぐで優しい視点に、私は嬉しくなりました。
でも私は、あえて少し難しい質問をしてみました。
「もし外国人がたくさん増えたら、逆にそれを怖いと感じる日本人が出てくるかもしれない。それについてはどう思う?」
生徒は少し困った顔をしてしまいました。意地悪な質問をしてしまったなと反省しています。
でも実は、これこそが、政治が向き合わなければならない現実です。誰かにとって良いことが、別の誰かにとっては不安や心配になってしまうことがあります。そんな時こそ、お互いに意見を出し合い、妥協点を探っていくことが必要です。
私にも自分なりの正しさがあります。でも、それが全ての人に受け入れられるとは限りません。だからこそ対話を続け、丁寧に折り合いをつけていくのが政治なのだと、今回、生徒との会話を通じて改めて感じました。
答えがない問題だからこそ、話し合う意味がある。中学生たちとの時間が、私自身に大きな気付きを与えてくれました。